工藤探偵事務所

Resarch and Investigation

Web human-being theory, Which do you like "Blade Runner" or "The Matrix" or "Star Trek" or "Dune" or "Star Wars" ?

kudo-shunsaku2007-01-23


ウェブ人間論』何度か読みました。読み直しました。その想いつくままの探偵の稚拙な所感を書きます。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

『ブログの書き手の分類』について。

ブログを書いている人の意識を五種類に分類している話。

これはそうだなぁと納得させられるものです。カテゴリ訳される側としては、あまり気分もよろしくないのですが。内容が喩え内省的なものであろうと、それを簡易に発信出来るということは悪いことではないですし、ましてや外部に何か言いたい方は尚更です。しかしながら、特定の場所で無意味な議論が過熱し過ぎて「炎上」したり、悪意を持って情報を発信し誰かを苦しめたり、欲望を充たすための蟻地獄の様な罠をしかけたり、といった事も実社会同様に起こっていくことでしょう、これからも。

この話の最後に梅田さんが「ネット・リテラシーを育てていくしかない」と書かれていますけど、その通りなのでしょう。

リテラシー、つまり、読み書き能力、識字能力。ウェブに書かれている情報を鵜呑みにするのではなく、自分の経験と照らし合わせて判断する能力が必要であり、それが求められているという事です。

ちゃんと日々の生活を通して人間として経験を積みながら切磋琢磨して生きていく。そうして毎日を生きていく事は、ネットに関係ないけれども、それが一番大事な事だと思います。

人間として大事な事。



『紙の本は無くなるのか?』について。

これは皆も思っているところでしょう。遠い将来にはそうなるのかもしれません。紙で出来た本よりもお手軽に文字が読めるような技術が普及するのであれば、そうなるのでしょう。紙で出来る前は、岩とかに字を書いていたのですよね。

でも皆が皆、本をデジタルデータでダウンロードして電子本などで読まれる、って感じにはなりそうもない気がします。画面を見続けてたら目が痛くなるもん、ついでに頭も痛くなるね。それよりも紙の本は便利だという習慣もね。紙の本なら、珈琲を溢しても、床に落としても、何の問題もなく読めますしね。

でも重い本が少しでもコンパクトにまとめて持ち歩けるような工夫がされれば、それは少し嬉しいかもしれません。iPodのようにです。印刷した文字を電子データにすることなら簡単に出来るでしょうしね。更には対談などの音声を文字データにしてくれて見れるようになれば、耳な不自由な方も嬉しいでしょうし(その逆の文字データを音声にするのも必要ですね。単なる読み上げソフトでは何を言ってるのか聴きづらいだろうし。)。やはり閲覧する時にもう少し読みやすいような工夫してくれればですけどね。

最近の状況では著作権をクリアした小説がウェブで公開しているもの既にある。そういう動きも無視は出来ないのでしょう。著作権がある本については、『アマゾン・ページズ』や『アマゾン・アップグレード』などがあるようですけど。本屋さんから遠くに住んでいてすぐに読みたいという方には便利ですよね。後は、既得権益を握っている人との戦いなのかもしれません。

探偵自身は、本は紙で読みたいです。そういう習慣になっているから。モニター眺め続けると頭痛くなるしね。

と書いている矢先からこんなニュースが。。。またもグーグル、しかないですよね。

グーグル、書籍のダウンロードサービスを計画か--ブログ界の反応
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20341274,00.htm

ところで、この件についてアマゾン(Amazon)との関係は改善されたのでしょうか?それとも、そのまま?

アマゾンドットコム、グーグルへの情報提供を拒否--書籍検索プロジェクトをめぐる裁判で
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20289867,00.htm

iPodと音楽ダウンロード』について。

Appleの功績として、iPodの登場に伴いiTunesさらにはiTunes Music Storeが利用できる様になり「音楽がダウンロード出来るようになった。」のは大きな変革でした(まだまだこれから色々の問題が山積していると想いますけど)。これは既得権益を守ろうとする守銭奴を巧く誘導したという意味で大きな功績でしょう。実際、避けられない道だと思いますし。

でも個人的にはiPodインパクトって、ハードディスクに家のCDを全部を詰め込んだまま屋外へ出掛けていって、何処にでも自分の『音楽図書館』を持ち歩けて、何時でも好きな音楽が聴けるというのが大きかったです、実際に。

そして今まで面倒臭いので敬遠気味だった「音楽」から一気に加速して熱中するようになりました、青春時代にカセットテープを編集していた頃に戻りました。それは、iTunesの使いやすさとiPodに入れた音楽をそのまま全部持ち出せるという事に起因しています。
実際、iPodを手に入れた2,3年前から(特に昨年は、)一生涯に匹敵するような数のCDを買いました(現在も)。そしてせっせっせっせとiPodに溜め込んでいます。今では容量が足りなくて入りきらなくなってしまってますけど。 『世界中の音楽を全部詰め込みたい』というグーグル的な野望まで抱いてしまっています。

音楽を商売にしている人達にとっても、技術が便利になって音楽が身近になることは、悪いことじゃないでしょ。音楽に疎遠になって見向きもされないよりも。

そういえば今までも音楽を聴くためには色んな機械を使ってきました。ラジオ、レコード・プレイヤー(四つもスピーカーがついたステレオ)、カセットテープ・プレイヤー(ラジカセとか)、ウォークマン(カセットテープ)、CDプレイヤー(気がついたらレコードが無くなってたので購入)、MDプレイヤー、そしてMP3プレイヤー(内臓メモリやSDカード外部メモリ等)とずっと音楽を聴くために色んな製品を使ってきた(使わされてきた)けど、iPodみたいに、こんなに夢中になれるのは無かった。これは『好きな音楽を全部』入れらるからです。そして持ち運べて外にお出かけできるからです。

それに将来的には、プレイヤー(オーディオ、電子機器)だとかメディア(レコード、テープ、MD、CD)だとかフォーマット(MPEG, AAC, WAV, MIDI, ...)だとか何にも気にしなくても聴けるし何処でも聴ける。そうなったら本当に使う人が便利になるのでしょうね。

あるいは、『本みたいに数枚の紙で出来ていて、(電気が必要だったら)太陽光で蓄電とか出来て、その紙を開くと音が流れる。』といったものがそのうち出来るんじゃないかな?と想ったりする。

そうしたら音楽を聴くのにそれ以外に何も必要ないという、本当の理想なのかもしれません。



『レコードのジャケット』について。

そうそ、音楽でジャケットは大事です。本みたいに買う前にパラパラめくれないから。

若かりし頃は、一日中レコード屋さんにいて輸入盤のビニールでラッピングされたレコード・ジャケットを眺めては、『どんな音なんだろう?』と想像していました。少ないお小遣いで買えるレコードは精々、一枚だけ。それだけにジャケットを凝視しては、そのアーティストの想いを感じとろうとしてました。まぁ当たり外れはあるけれども。邦盤だったら帯に少し文字が書いてあって、その少ない言葉から一所懸命に想像したりもするけれど。

だからこそ、音楽でジャケットは大事です。

そのうちにレコード屋さんでプロモーション・ビデオとか流してくれて、それを一日中みてました(ビデオ・デッキなんて到底、手に入る代物じゃなかったし)。それからMTVやベストヒットUSAとかでTVで情報が入手できて。。。

でも、音楽でジャケットは大事です。

音だけでなく、その世界観や主張などが『画』として結晶しているはず、と信じています。だからこそジャケットは良く覚えているしシンボルになっています。逆にジャケットがグダグダだけど、中身は良い音を出している、ってのは稀でしょう(ジャケットが良くても中身は駄目というのもあるけれどね)。でもジャケ買いで後悔することも結構あるけど。

本の装丁も大事だけど、レコードやCDほどでは無いでしょ。
だって本は中身の言葉や物語といった文字が大事なのだし。

兎に角、音楽でジャケットは大事なのです。


『本の表紙(ジャケット)』について。

レコードやCDでもジャケットは大事です。ジャケットの画を含めて音楽なのですから。音を聴いて、ジャケットを眺めて、色んなイメージをする。

本でも、物語が書かれている本では、ちいさな挿絵が大事だったりします。その物語のイメージを想起しやすくしたり、言葉が足りないのを補ったり、良い挿絵があると話に入りやすくなるのです。『不思議の国のアリス』などの挿絵は秀逸です。ましてや絵本になれば、画の方が主体になっているのですから。『いやいやえん』とかの絵本ね。

どうして本の表紙(ジャケット)に気を使わないのでしょう。結構、装丁の良し悪しで本を買ったり切欠になるのに。予算の問題かな?それで装丁がお粗末だったり、表紙の画が大した印象もないものになったり、それで余計に本を買わなくなったり。

現在、結構な人が「とびだす絵本」みたいな仕掛けの本をわざわざ買ったりするのには、そういう意図があると思います。綺麗な本が欲しいというような。

あとサイズの問題ですけど、移動の際に本を読むことが多い探偵は、この『ウェブ人間論』もそうですし、『ウェブ進化論』も新書サイズで出してくれて良かったです。電車で読むには、このサイズでないと読めないですから。ポケットに入らないし。装丁に画がないけど、それはしょうがないってことで。多分、皆、紙のカバーを巻いて貰っているのでしょう。



『グーグルの世界政府』について。

世界政府という発言をグーグル(Google)がするらしいのだけど、彼らには深い意味はないよという話。

でもグーグル(Google)がダーク・サイドに堕ちれば、世界政府というよりも世界征服だろう。権力は支配(コントロール)。インターネットには唯一無二の支配者が居ないのかもしれないけど、現実世界はほとんどがアメリカ型資本主義の社会で支配されている。その体制の中の寵児であるグーグル(Google)が権力を使わないという保証はない。加えて、既に「無償でサービス」といった形で皆が使い侵食(重宝)されつつある。これらのサービスは無論、彼ら次第でころっと様変わりする訳です。検索エンジンに引っ掛からなければ存在しない事になってしまうというのは、梅田サンの言葉。まさにその通りになりつつある訳で、その一極支配をしているのは、グーグル(Google)に他ならない。恩恵を受けている人も多数居るはずであるが、その逆もしかり。世界征服の日も近いのかもしれない。これこそ本当にS.F.です。

実際にグーグルやはてなのサービスに頼っている人がココに居るし。。。



スター・ウォーズ好き』について。

グーグル(Google)やはてな(Hatena)にいる人種は、スター・ウォーズ好きなのだそうだ。会社でライト・セーバーを振り回したり「ダーク・サイド(暗黒面)に堕ちますよ」といった台詞が好きだとの事。それ所以に彼らは無垢であるといったような話。無垢だから収集した情報を恣意的に使ったり、権力を行使することはないだろうという事らしい。

大体、スター・ウォーズ(Star Wars)よりも、ブレードランナー(Blade Runner)やマトリックス(The Matrix, Reloaded, Revolutions)でしょ?

スター・ウォーズ(Star Wars)を最初に映画館でロードショーで観た時は、それは衝撃だったけどさ。。。二作目の「帝国の逆襲」まで見たら十分でしょ?しかも神話をごちゃ混ぜにした意味ないストーリーの上、単純な勧善懲悪の冒険活劇 S.F.が一番好きだなんて、ちょっとどんなもんでしょ?

普通のS.F.好きもしくは映画好きなら、せめて砂の惑星(Dune)とか宇宙大作戦(スター・トレックStar Trek)を挙げるのでは?それに未だにブレードランナー(Blade Runner)を超える世界観を持った作品はありませんと断言できます。映画好きの探偵はブレードランナー(Blade Runner)最高と想っています。こちらの方がマイナーなのかな?

グーグルの人やはてなの人が、何が好きでも趣味趣向なので、それはそれで良いのですけど、現実世界と神話をごちゃ混ぜにしないで欲しいものですね。あなたはルーク・スカイウォーカー(Luke Skywalker)ぢゃありませんから、残念。

それにエリック・シュミット(Eric E. Schmidt)までもがスター・ウォーズ好きと考え難いし。

百歩譲って、『スター・ウォーズ(Star Wars)が好きな人は善人である。』

と肯定したとして、その周りに居る人全部がそうであるとは限らない。マトリックス(The Matrix)のサイファー(Cypher)みたいな裏切る奴も傍に居ることでしょう。それらに無垢なスター・ウォーズ好きが操られるとも限らない。

ダークサイドに堕ちるのは、簡単な事なのでしょうから?でしょ?


流しそうめん』について。

若い方は、いつでも情報が取れるので溜め込まない。という話です。
どういう時代に育ったのか?というのが、大きな要因なのかもしれません。
YouTubeの話だけに限らず、実際そういう方が多いのかともと思われます。探偵の場合は、無論、溜め込みます。何でもかんでも。後で使わないとしても。もしかしたら必要になるかもしれないと思ってしまう。物が捨てられない。部屋が物で溢れる。必要な時に見つからない。という悪循環だったりします。要するに貧乏性な訳です。

情報だけでなら「流しそうめん」も宜しいのかもしれません。余分な執着が無いという事でしょうしね。

でも、生まれた時から辺りに沢山の物があって、それらを不自由なくを与えられて、特に食べ物が豊富にあって欲しいものだけを食べている、そんな方ほど食べ物を粗末にする方も多いと思います。昔の親御さん達は、米粒などを残すと『お百姓さんが大切に作ってくれたものを粗末にすると眼が潰れるよ』と怒ったものでした。探偵は未だにご飯を残すということが出来ません。作ってくれた方々の愛情を無碍に出来ないのです。それにそんな事を考える前に『勿体無い』と思っていますのです。

やはり過ごした環境に因るのでしょう。

話が反れましたけど。

ついでに、探偵はこれを書く事も次々と何を書くのか?忘れていってしまっています。メモを取ることは忘れるため、なのでしょうけど。メモを取る前に忘れてしまっている。自分の脳みそが既に溜め込む事が難しい状態、健忘症気味。この先が怖いです。デジタル機器で記憶を補完するしかないのだろうか。


『タイトルのウェブ人間論』について。

タイトルには「ウエブ・人間論」と「ウェブ人間・論」の二つの意味合いがあるとの事。
各々が人間としてどうあるべきがが本質で肝要であり、人間として豊かな生活や人生を過ごすための道具としてのウェブ(World Wide Web)とどう付き合うっていくか?もしくは道具として如何に使いこなしていくか?なだけであろう。だから『ウェブ人間』ていうのは無意味である。しかしながら『ウェブ人間』という輩が台頭するのもありえる事でしょう。ウェブに縛れたもしくはウェブに憑く人間という亡者が既に居るのかもしれない。


本の全体の所感としては読みづらいです。対談を文字に興した文章なので。これこそ(主題にあるように)音声や映像でお願いしたいものです。ポッドキャスト(Podcast)やユーチューブ(YouTube)なんかで配信して欲しいものです。そうなると出版社はどういう立場で対応するのだろう。面白いかも。



実際の内容は本をご覧下さい。この所感は想いつくまま書きました。一読者の勝手な所感ですのでご容赦願います。取りこぼしている所も一杯あるでしょう。後で足りないと想い付いたら追加するかもしれません。


前の日記。

Web human-being theory and proverb
http://d.hatena.ne.jp/kudo-shunsaku/20061227/1167222498


関連頁:

梅田望夫平野啓一郎ウェブ人間論』|新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/afterword.html

平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って - My Life Between Silicon Valley and Japan
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070121/p1

巧みに生きるか、善く生きるか、…… - 平野啓一郎公式ブログ
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20070121